昭和24 年~平成11 年
結成50周年記念誌から
大会宣言
視覚障害者の社会的地位の向上と、福祉増進を目指して、昭和24年に島根県盲人協会は結成された。以来50年、あらゆる場面において、我々は常に障害者運動の先頭に立ち、数多くの成果をおさめて来たことを、この晴れやかな場面において、自信と誇りをもって、まず宣言したい。
そして、戦後の疲弊した社会にあって、他人のことより自分が食べることを考えなければならない時代にあって、理想を高く掲げ、それを実現すべく立ち上がった先人たちに対して、心からの敬意を捧げるとともに感謝の気持ちで一杯である。
だがしかし、結成当時の中心テーマであった視覚障害者の新職業開拓や、我々の多くが生活の糧としている鍼・灸・マッサージ業における、無免許業者対策は、50年を経た今なお、運動の中心となっている。
我々は結成当時の精神を受け継ぎ、これらを解決すべく、更に団結し、運動を続けなければならない。
さて、平成13年度を最終年次とする、島根県が策定したダイアモンドプランにおいても、また、国が昨年公表した社会福祉基金構造改革に関する中間まとめにおいても、障害者自身の主体性を尊重した方向へ、福祉は変わろうとしている。考え方は誠に正しいと思う。その方向へ進めるためには、解決しなければならない事柄が、余りにも多いことに気付かされる。障害者の経済基盤の確立、安全交通の確保、物理的・精神的バリアの除去等、考えだすと気の遠くなる思いである。
島根県においては、ダイアモンドプラン後の障害者対策について考えて欲しい。また、各市町村においては、ダイアモンドプランで策定を要請されている「障害者プラン」を早く出して欲しい。障害者自身が期待をもって受け入れられるビジョンがない限り、主体性を持てと言われても、それは無理である。
50年、障害者をとりまく状況は着実に好転して来たと言えよう。しかし、先にも述べたように解決しなければならない事柄は、まだまだ山積している。
我々は今後とも、障害者運動の先頭に立ち、ノーマライゼ一ションの理念のもとに、障害者福祉の増進と、社会的地位の向上を目指して、更に邁進することをここに宣言する。
平成11年6月13日
社団法人島根県視覚障害者福祉協会
協会のあゆみ
社団法人 島根県視覚障害者福祉協会 会長 小川幹雄
島根県盲人協会は、終戦後間もない昭和23年、ヘレン・ケラーの来日が実現し、それを機会に当時全盲で県議会議員でもあり、また、島根県の連合青年団長でもあった高尾正徳氏を中心に、県内の「盲人有志」によって会設立の準備が進められた。翌24年の春、「島根県盲人協会」が誕生した。設立準備のために奔走し、その後も会員への連絡・相談等を一手に引き受けてくださった多くの先輩達は既に他界されている。
発足当時の事業としては、中央との連携のもと、ヘレン・ケラーによって急速に高まった障害者対策、その成果として、身体障害者福祉法の制定への運動であり、また、県内行事としては、盲教育のPR活動のーつとして、「盲人文化祭」の開催であった。松江・宍道・木次・出雲・大田・浜田と、県内各地を回り、大きな成果を上げた。内容は、盲学校の生徒による点字・算盤実習、合唱・演劇も盛り込み聴衆の注目を浴び、島根県における「盲人福祉運動」に大いに寄与したものである。
その後、本県では昭和26年に盲・聾学校の分離独立により、盲学校が南田町に移転した。本会では、低所得階層のために県に対して児童福祉法による盲児施設の設置の必要性を訴え、一方では、我々の手でも、後輩の教育をと島根県盲人協会が先頭にたち、全県下に「愛の鉛筆運動」を展開して、昭和34年4月、盲学校から徒歩で約10分ほどの場所に「盲児施設島根ライトハウス」を開設して、県内の多くの盲児を入所させ、盲教育を受けさせることが出来るようになった。以後、昭和37年に点字図書館「ライトハウスライブラリー」、昭和46年「湯の川温泉盲老人ホーム」の設立等、視覚障害者のための施設作りに奔走した。
その間、昭和34年には、第12回全国盲人福祉大会、昭和44年には第14回全国盲婦人大会、昭和49年には第20回全国盲青年大会、また、昭和52年には兼ねてからの念願がかない、島根県盲人協会が「社団法人島根県視覚障害者福祉協会」と改名、更に平成9年8月には第43回全国盲青年研修大会の開催等、地道ではあるが着実な成長を続けている。 特に思い出せるのは、昭和34年5月に松江市で開催した第12回日盲連全国大会である。最近の大会は、常に2、3千名の参加者があるが、それに比較すれば少ないものの、当時500名の出席は松江大会の盛大さを物語り、後々まで話題となっている。この時、地元婦人会の協力を得て、駅頭の出迎えや大会会場でのお世話と、100名を越す熱心な協力、また、大社参拝に大社中学の生徒さんたちの手引き等、本県におけるボランティア活動の端緒は、実にこの日盲連大会の時にあったのではないかと言われている。
なお、本会の歴代の会長は次の通りである。
- 高尾正徳 昭和24年~平成2年5月
- 田中幸雄 平成2年7月~平成5年6月
- 橋本繁夫 平成5年6月~平成9年6月
- 小川幹雄 平成9年6月~現在
島根県視覚障害者福祉協会略年表 1949年(昭和24年)~1999年(平成11年)
【昭和24年2月27日】
- 出雲市の県立浜山公民館に新見県社会課長をお迎えして島根県盲人協会の結成大会を開く。
- 会長 高尾正徳
【昭和24年7月】
【昭和24年12月10日】
- 島根県身体障害者福祉協会「現島根県身体障害者団体連合会」結成。
- 会長 高尾正徳
【昭和24年12月26日】
【昭和25~29年】
- 島根県盲人協会の主催で視覚障害者理解のために県内各地で盲人文化祭を開く。内容は盲学校生徒による点字・算盤・合唱などの実演。
【昭和29年10月】
- 点字器の補装具再指定を島根県盲人福祉大会で緊急決議。これはその年の6月に厚生省が点字器を補装具から除外したもので昭和36年5月12日に再指定されている。
【昭和34年4月1日】
- 社会福祉法人島根ライトハウス開園。県盲協が行った「愛の鉛筆運動」が土台となって設立された盲児施設
- その後本会と島根ライトハウスが県内の福祉運動の先導役となる。
【昭和34年4月16日】
- 国民年金法公布。この年の11月から1・ 2級の身体障害者に月1500円の障害福祉年金が支給されることとなる。
【昭和34年5月18~20日】
- 第12回全国盲人福祉大会が松江市公会堂で開催される
- 論議の中心はこの年の11月より支給されることになった障害福祉年金について
【昭和36年4月】
- 出雲市今市に盲人ホーム開園。視覚障害者の自立と社会復帰を目的としたもの
【昭和37年8月】
- 島根ライトハウスが点字図書館ライトハウスライブラリーを敷地内に開設。録音図書の自主制作も開設当初より試みる
【昭和37年9月】
- 出雲市盲人協会「現出雲市視覚障害者福祉協会」が敬老マッサージ奉仕を開始。これはその後毎年行われ団体として厚生大臣表彰をはじめ各種の表彰を受けている
【昭和38年11月2日】
- 第1回島根県身体障害者スポーツ大会開催。以後毎年開かれ昭和40年から始まった全国身体障害者スポーツ大会へ参加選手を送ることとなる
【昭和44年8月】
- 日盲連婦人部「元婦人協議会」と県盲協婦人部主催で第14回全国盲婦人研修大会を開催する。会場 玉造温泉米子館と県庁講堂
【昭和45年5月12日】
- 心身障害者対策基本法成立。心身障害者の福祉を総合的に推進する目的
【昭和46年4月】
- 島根ライトハウスが斐川町地内に湯の川盲老人ホーム開園
- 大田市が公報点字版発行。県下初
【昭和47年5月】
- 第25回全国盲人福祉大会(仙台)で高尾正徳県盲協会長が日盲連の第4代会長に選出される
【昭和48年4月】
- 身体障害者の医療費公費負担制度発足。1・2級障害者の医療費のうち本人負担分が支給対象となる
【昭和48年7月】
- 島根県公報点字版発行。前後していくつかの自治体から公報の点字版・録音版などが制作されるようになった
【昭和48年11月19日】
- 交通安全島根県盲人大会を開き道路や公共的建築物の危険箇所・無人駅における障害者の安全条項などについて関係機関へ陳情する
- 以後毎年危険箇所の調査は行われ随時関係機関へ改善を要望している
【昭和49年8月】
- 日盲連青年部「現青年協議会」と県盲協青年部主催で第20回全国盲青年研修大会を開催。会場 玉造温泉山の井
【昭和50年4月】
【昭和51年12月】
- ガイドヘルパー制度発足。地区盲協に事務局を置き対応に当たる
【昭和52年6月6日】
- 社団法人島根県視覚障害者福祉協会と改名。会長 高尾正徳
【昭和52年10月】
- 盲人野球(グランドソフトボール)島根県チームが全国身体障害者スポーツ大会(青森)へ出場。準優勝
【昭和56年4月】
【昭和57年4月】
- 島根ライトハウスが法人本部敷地内に盲重複障害者厚生施設しののめ寮を開設
【昭和57年10月】
- 第18回全国身体障害者スポーツ大会(ふれあい大会)が松江市で開かれる。今大会より盲導犬を連れての参加が認められる
【昭和60年1月24日】
- 国民年金法が改正され、基礎年金制度が昭和61年度より実施される
【昭和62年4月】
- NTTと中国電力が点字による領収案内開始
- 出雲市がサンアビリティーズいずも「出雲勤労身体障害者共用文化体育施設」を開設。出雲地区身体障害者の活動の拠点となる
【平成元年4月】
- 松江市より発送される公文書の封筒に点字による内容表示開始
- 松江郵便局館内での点字本・テープなど大型郵便の自宅集荷制度開始
【平成2年5月4日】
【平成2年6月】
- 島根県視覚障害者福祉大会で県視障協会長に田中幸雄が選出される
- 松江市が高齢視覚障害者と重度の身体障害者を対象に医療機関等へ通院を目的とした福祉タクシー券交付。1枚400円の年間48枚。現在は1枚500円の年間72枚
【平成2年9月】
- 松江市視覚障害者協会が結成40周年記念誌の表紙に自由美術協会会員の井戸原亮二氏が描いた太陽と湖を立体コピーにして採用する。絵を触ってみようという試み
【平成3年4月】
- 点字図書価格差保証給付事業始まる。年間6タイトル24巻までなど制限があるものの視覚障害者の読書環境が改善されたことは間違いない
【平成3年7月】
- 松江市が松江市視障協にパソコン・ワープロソフト・プリンタなどを貸与。視覚障害者が自由に使えるようになる
【平成5年4月】
- 出雲市が福祉タクシー券制度発足。1枚500円の年間24枚
【平成5年5月】
- 障害者対策に関する島根県新長期計画「ダイアモンドプラン」策定。ダイアモンドプランの名前は障害者一人ひとりが社会のあらゆる場面でダイアモンドのように輝いてほしいとの意味
【平成5年6月】
- 大田市で行われた島根県視覚障害者福祉大会で橋本繁夫が県視障協会長に選出される
【平成5年12月3日】
- 障害者基本法公布。心身障害者対策基本法を改正したもので障害者の自立と社会経済活動への参加の促進を位置付けたもの
【平成9年6月】
- 浜田市で開かれた島根県視覚障害者福祉大会で小川幹雄が県視障協会長に選出される
【平成9年8月】
- 日盲連青年協議会と県視障協青年部の主催で第43回全国盲青年研修大会を松江市で開く。会場 ニューアーバンホテル別館と島根県身体障害者体育館
【平成9年12月】
- 松江市がパソコンの点字変換ソフトを利用して市役所から視覚障害者家庭へ出す公文書の点字化に踏み切る
【平成10年6月】
- 島根県ひとにやさしいまちづくり条例制定。障害者、高齢者などが自らの意志であらゆる分野で平等に参加し活動できるよう様々な障壁を県民が一体となって取り除いていくことを目的としたもの
【平成10年10月】
- 点字JBニュースの配信開始。平成3年4月より始められていた点字情報ネットワーク事業(点字JBニュース)が本県でもこの年に始まった
【平成11年6月13日】
- 島根県視覚障害者福祉協会結成50周年記念福祉大会開催。会場 松江市ホテル一畑